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投稿者: ウェスト
アクセス数: 130
投稿時間: 2011-7-21 15:01:43
アジア縦断30日間催行決定8月21日出発二村同行募集中
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2011年度アジア縦断企画登場、更に催行決定です。8月21日発。今回は二村が同行します。西部旅情倶楽部代表の閔祥凱(ミンショウガイ)も内モンゴルの二連浩特から雲南省の豆沙まで案内予定です。

全日程が30日間。その中、中国国内部分17日間のみをご参加することも可能です。

下記の話ははこのツアーの設計者である二村よりです:

 

ツアー企画について

モンゴルのイルクーツクを起点とし、4WDとバスを乗り継ぎ、ミャンマーのヤンゴンまで約6,500kmを走ります。モンゴルから中国へ、中国からミャンマーへも、陸路の国境越えにこだわっているツアーは他にないでしょう。

モンゴル、中国、ミャンマーの3ヶ国を北から南へ。北緯48度の亜寒帯(ウランバートル)から、北緯17度の熱帯(ヤンゴン)へ。3,430m(中国・黄龍)から標高23m(ミャンマー・ヤンゴン)まで。緯度差、高低差の数値が示すとおり、気候・自然・民族等が目まぐるしく変わります。代表的な風景だけでも、モンゴル-草原・ゴビ砂漠、中国-黄土高原、崋山(秦嶺山脈)、黄河・金沙江(長江中流)、岷山(九寨溝・黄龍)、大海草原、紅土高原、ミャンマー-エイヤーディ(イラワジ)川が挙げられます。民族的にはモンゴル人、中国人(モンゴル族、漢民族、回族、チャン族、チベット族、イ族、ペー族)、ミャンマー人(シャン族、ビルマ族)等が住んでいます。自然と民族がこのツアーの見どころです。そのぶん歴史的建造物は、中国・大同の雲崗の石窟(世界遺産)、応県の木塔、平遥の古城(世界遺産)、豆沙関・古鎮、大理三塔、ミャンマーのマンダレー・パガン・ヤンゴンのパゴダと多くありません。

しかし一見何も無関係な地域に見え、実は文化的には大きなひとくくりにできます。大部分は仏教圏に属し、モンゴルのモンゴル人、中国のモンゴル族・チベット族はチベット仏教を、ミャンマーのシャン族・ビルマ族は上座部仏教を信仰しています。仏教を信仰している地域ほど、人々に笑顔があるように感じます。また第2次世界大戦の際、日本は各国と不幸な歴史を刻みました。そんな現代史にも目を向け、ウランバートル、マンダレーと日本人墓地を訪ねます。

北は夏、南は冬がベストシーズン。モンゴルは冬にはツアーが組めないため、この時期に合わせました。ミャンマーは雨期の後半にあたり、暑気(3~5月)よりは涼しいですが、スコールのような雨に降られます。まあそれも旅とご理解下さい。反面、秋は収穫と果物の季節、目だけでなく舌も楽しませてくれるはずです。

世界遺産は、万里の長城、雲崗の石窟、平遥古城、九寨溝、黄龍しかありませんが、最も重要視しているのは観光地ではなく、途中の風景や人々です。途中の変化に富んだ景色と出会いが、皆様を待っているに違いありません。また今回は、中国では二村の友人のガイドが案内し、旅を盛り上げてくれます。さあ「アジア縦断」の旅へお出かけ下さい。
 
旅の見どころ
・モンゴル

羽田から北京経由で、ウランバートルに向かいます。ウランバートで2泊した後は、4WD(1台3人)に乗り換え、草原・ゴビ砂漠の中へ。イフガゾリンでの宿泊は、ツーリストキャンプのゲル(伝統的な移動式住居)。ゲルで2泊して草原の生活をたっぷり楽しみ、牧民の気分に浸ります。サインシャンダまでは、轍だけを頼りに、ガタゴト揺られながら荒野の旅を楽しみます。サインシャンダからは、舗装道路を走り、中国との国境の街ザミーン・ウデへ。

・中国

中国に入ると途端に、人が増え、道が良くなります。モンゴルと同じ民族が住む、中国・内モンゴル自治区ですが、定住化が進められた結果、パオ(モンゴルではゲル、中国ではパオ)は、ほとんど見られなくなりました。万里の長城を越えれば、そこは塞内地。中国で最も歴史的建造物が残る山西省を大同、平遥と辿っていきます。また山西省は、麺・お酢の故郷としても知られ、食の旅も楽しむ事ができます。

歴史の旅を終えた後は、自然の旅へ。陝西省では秦嶺山脈沿いの高速道路を東から西へ。途中、五岳のひとつ崋山に立ち寄ります。四川省に入ると途端に山道に。08年の地震で大きな被害を受けた地域を抜け九寨溝へ。九寨溝・黄龍は、言わずと知れた世界遺産。水の美しさと共に、観光客の多さに驚かされるでしょう。アバ・チベット族チャン族自治州に位置する茂県も地震で甚大な被害を被った地域ですが、その復興に目を見張ります。
広漢では、中国の歴史を大きく変えた三星堆の博物館を見学。日本でも展覧会が開かれたので、飛び出した目を持った青銅器の仮面(右写真)を覚えている方は多いでしょう。この遺跡の発見後、長江の文明にも光が当てられ、黄河文明の名称が中国文明と呼ばれるようになりました。
四川省を後に雲南省へ。両省を結ぶ街道沿いの要衝だった古鎮を訪ねた後、紅土地に向かいます。最近写真スポットとして注目を集める紅土高原は、紅色の大地に色とりどりの畑が織りなす、パレットのような風景で知られています。この時期は、畑はどんな色に染まっているでしょうか。

中国・紅土高原
ペー族の街・大理は、かつて大理王国として栄え、モンゴル帝国に因って滅ぼされ、今はわずかに大理三塔が残るだけです。大理から、国境に位置する瑞麗までは高速道路でわずか8時間になりました。

ミャンマー

国境を越えても、ムセでは漢字の看板が見られ、中国の街と代わり映えがしません。国境から離れるに連れて、民族衣装の巻きスカートを着た

パガン
人々や黄金のパゴダが姿を現し、徐々にミャンマーらしくなって来ます。マンダレーまでは、タイ系の民族が住むシャン州。今では安定していますが、90年代まで反政府運動が盛んな地域でした。マンダレー・パガンでは、ひたすらパゴダを見学します。パゴダより熱心に拝むミャンマー人が気に掛かります。パガンにもモンゴルの軍隊が攻め入りました。ミャンマーは、一般的には軍政がしかれ、怖い国のイメージがあるでしょう。しかし信仰心の篤い人々は穏やかで、笑顔に溢れています。またマンダレーは、インパール作戦でも知られる激戦地、慰霊碑を参拝。パガンからは新首都ネピドー経由ヤンゴンの道が完成。10年からはネピドーの宿泊・観光も可能になり、ベールに包まれていた新首都を見学。旅の最後は旧首都ヤンゴン。ミャンマー最大の金色のパゴダが、青い空に光ります。ヤンゴンからは、中国の昆明に1泊した後、北京経由で羽田に戻ります。

 

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