「箱根の山は天下の険、含谷関よりものならず」で歌われる含谷関と同じ要所でありました大散関は長安の西にあったのです。周の時代散国の関としていましたので、「散関」だと呼ばれるようになりました。昔から川(四川)陝(陝西)の咽喉だといわれ、軍事的には大事なところでした。秦の末期、劉邦が漢中から長安まで攻めてきたときもここからでした。明の時代から廃棄され、今まででした。
この間宝鶏市が大散関を改造と拡大工事を行い、やぐら、陸遊祠、狼煙台などの建物を元の様子に修復しました。宝鶏市は西安の西にあり、周辺観光地は法門寺、五丈原などの見所があるのです。